多くの作家が集った不思議な魅力の旅館・和可菜 

旅館・和可菜
東京都新宿区神楽坂4丁目7
私と友が訪れた先は神楽坂の小さな旅館「和可菜」

ここは1954年(昭和29年)から営業をはじめています。先ほど小さいとご紹介しましたが、部屋の数はなんと5部屋だけになります。
神楽坂と言えば花街のイメージが強く、賑わいを想像する方もおいででしょう。しかし、ここの旅館「和可菜」はそんな賑わいを忘れる静かな佇まいの中にあるのです。

集う文化人
1階は「桐の間」の1部屋だけです。2階へと続く階段は風情が漂よい、素敵な一瞬を感じることができます。2階の葵の間をよくご利用なさったのは映画監督の山田洋次さんで「男はつらいよ寅次郎恋愛塾(1985年)」のマドンナを若菜と名付けるほどお気に入りでした。

ここで私がこんな事を女将に尋ねます。
「どの作家の先生方も1階よりも2階の部屋の方が良いとおっしゃいませんか?」

この事に女将がこう答えます。
「その通りです。特に山田洋一先生は、ちょうど西日が入りますので暑いのですが、クーラーがお嫌いな方でしたので、扇風機をお勧めしましたら原稿が飛ぶからダメだと。終始団扇で原稿をお書きになっていましたよ。」

和可菜の不思議
他には、作家の伊集院静さん、作家の野坂昭如さん、脚本家の内館牧子さん、映画監督の深作欣二さん、 劇作家の市川森一さん、などの多くの文化人に利用されてきました。その中で一番古い方は野坂昭如さんになります。

いつも『和可菜で原稿を書くと不思議と書けます』と言っておられました。昔はファックスがありませんでしたので、編集者の方が隣の部屋で待機しているのですが目を盗んでは逃げ出していましたね。それはそれは名人級でした」

神楽坂の力
この事に私がこのような事を言いました。

「不思議なんですけど、やっぱり神楽坂の力です。この部屋にいても何にも見えません。景色もそんなによいわけでもありません。西日が当たって暑いけれども、街の情緒が見えてくるところですね。ここは。」

「それに、この世の営みが見えるところです。感性が広がってくるエナジーを持っているんですね。だからちょっと『人と人がこういう風な出来事があった』とか、そういったことまで、色々なことが見えてくる力があるところなんじゃないかなと思います。想像力の井戸みたいな、泉みたいなところです」

すると女将がこんな事を付け足します。
「小説家の早坂暁さんなんかは1年もいらっしゃいましたよ」

和可菜旅館の始まり
ここで私がこんな事を女将に尋ねます。
「ここの旅館を始める切っ掛けな何だったんでしょうか?」

女将がこう答えます。
「姉がこの家を買ったわけですよ。それで誰もする人がいなくて私がちょうどその頃、何もしていなかったので、ほんのちょっとのつもりが 55年もここへ来ちゃいました」

※1 女将は結婚してすぐご主人とお子さんを病気で亡くし、それ以来小さな旅館「和可菜」を守ることが生きがいになっていたそうです。

※2 女将の姉は女優の小暮実千代(1918年1月31日-1990年6月13日、72歳没)妖艶な悪女の役で一世風靡し旅館を買って妹に経営を任せたのです。

感謝の気持ち
さらに私がこう続けます。
「最初からですね。小暮実千代さんの姿が見えていました。ここにはいらっしゃらないはずなのに、ここを見ていたんですね。それで女将さんに、こう謝っていらっしゃる。」

『結構、無理難題をね、お願いしちゃった。お金の問題とかもそうだし、苦労を掛けちゃった。申し訳ない』という気持ちがもの凄く現れていますよ。」

「こうやって元気ではつらつとやっていらっしゃるのは、お姉さんのそういう意味での感謝の気持ちがそこに現れているんじゃないですかね。子供たちを助けた代わりに妹には苦労をかけてしまった。女手ひとつで和可菜を守ってくれたことを今でも感謝しているのです」

※ 小暮実千代は女優業だけでなく戦災孤児や留学生のボランティア活動も熱心にしていました。

阿弥陀如来
すると女将が突然こんな話をし出します。
「500年ぐらい前の阿弥陀如来様があるんです。和可菜に代々伝わるもので、毎日手を合わせています」

ここで私がこう尋ねます。
「お父さまって早く亡くなっているんですか?この仏様を見てると、ここからね『父、父』って 声が聞こえてくるんですよ。」

「お父さんが早くに亡くなってるみたいなことを言っていて、仏様とお父さんの思いが一緒になって『守ってやる』っていう『自分が長く生きられなかったから、その分、守る』って思いがあってだから辛い時ね、この仏様、阿弥陀様にお願いごとをすると、なぜか解決するでしょう?」

守り神
女将がこう答えます。
「父親は早くに亡くなっています。何でも朝に晩にお願いしています」
日本が戦争に突入した頃、女将の父は病気で亡くなり、その後、実家も空襲で焼かれてしまいます。

つづけて私がこう言います。
「娘を守ってやれなかった父の思いが阿弥陀様を通して伝わってきます。部屋の神棚を見て、こっちは氏神様(筑土八幡)ですね。守られています」

女将は毎日、お客様の幸せを祈り、今は亡き家族の愛情に支えられています。神楽坂はこの街を愛する人々のオーラで輝いていました。

残念ながら、女将さんも90歳を超える高齢で、2015年、旅館「和可菜」は閉店しました。

つづいて、
 浅草「浅草神社」
ここの御朱印でオーラ輝かせてください

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