龍が銀座の上空に現れた豊岩稲荷神社での祈りからか

豊岩稲荷神社
(中央区銀座七丁目8-14)
高級ホテルやレストラン、ブランドショップなどが多く、若者や貴婦人や紳士が集う銀座。ここに昔ながらの風情を醸し出してくれる場所があります。

金春通りのビルの谷間にひっそりと佇んでいるため、昼でも薄暗く、さらに赤い壁に囲まれていますので、ここの場所に辿り着いた瞬間、現実の世界でない空間に飛び込んだ錯覚を覚えてしまいます。

行き方は本当に簡単なのですが、注意深く探す必要があります。銀座のおでん屋「やす幸」(豊岩稲荷神社と住所は同じ)を目指してください。

店に向かって左側に「豊岩稲荷神社」の石柱が立っていますので、そこを奥へと進むと灯篭が連なる路地が見えてきます。そして周りが赤い壁になっています。


赤の異空間
何故、ここは赤い壁なのかと言いますと、稲荷系の神社には数多くの鳥居があります。しかし、ここには鳥居がございません。なので周りの壁が赤色に染まっているのです。到着しましたら、周りをご覧ください。まさしく異空間と言えます。

ご祭神になりますが、稲荷神、またの名を倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と言います。参拝した後は、何度か曲がりますが、そのまま真っすぐお進みください。金春通りに辿り着きます。そこにも「豊岩稲荷神社」の石柱が左側に立っております。

歴史
さて、この豊岩稲荷神社の歴史となります。
明智光秀の三羽烏の一人、安田国継(通称:作兵衛は1582年、織田信長に対して起こした本能寺の変では先鋒で出陣し信長に槍で攻撃したと言われている。1597年、自害により死去。享年42歳、死んだ日は奇しくも織田信長の命日と同日であった)の奉斎により始まったと伝えられております。

この神社は火防の神でもあったことから、後に歌舞伎役者等々からあがめられます。その後、関東大震災(1923年 ”大正12年” 9月1日11時58分32秒頃)や東京大空襲(1945年”昭和20年”3月10日)の戦災などに見舞われ、現在の姿となりました。

龍神系の神社
最近では、縁結びの神様と開運としても人気があります。銀座七丁目の守り神として日々、近隣の方々がお参りに来ております。まさに銀座のパワースポットと言える場所ではないでしょうか。

ここの事を明宏がこう話しだします。

「ここには何度か足を運んだことがあります。普通の理論を超えた不思議な空間に祀られていて、ここ銀座の守り神的な存在といえるでしょう。そしてここは、龍神系の神社になります。ここの事を友達のがぶんさんに話をしたら、どうしても一度行ってみたいと言いだしたので案内してあげたときです。突然、友が驚いた声でこう言ったの」

”大きい鳥のようなものが二匹並んで向こうに飛んでいった”

どんな鳥と尋ねると。
空を見ながら、”真っ白でしっぽが長い。龍みたいな鳥でした”

「それは龍です」
「はじめてここに来たあなたに、ここは龍神系の神社ですよ。って挨拶代わりに教えてあげたのですよ」

ここは銀座の空にありえない光景を
みせてくれた不思議な神社なんです。

龍神様って金運だけじゃなく、素敵な出会いや恋愛を叶えてくれるようです。
あなたのその願い。叶えに出かけてみませんか。

龍神様
東の方角を守護する神を青龍といい、中国では皇帝のシンボルとしています。インドでは蛇神といい、一般的にアジアでは龍のことを好意的に捉えていて、日本でも龍神を祀っている社は各地に存在しています。

法華経の経典を開くと善神として八つの龍王
(難陀 ”なんだ”・跋難陀 ”ばつなんだ” ・娑伽羅 ”しゃきゃら”・和脩吉 ”わしゅきつ” ・徳叉伽 ”とくしゃか”・阿那婆達多 ”あなばだった"・摩那斯 ”まなし”・優鉢羅 ”うはつら”があげられ、これを八大龍王と呼んでいます。

その中でも、難陀は、八大龍王の中でトップに位置する方になります。
難陀とは歓喜を表していて、別名、歓喜龍王(かんきりゅうおう)とも呼ばれております。

経典の中においては、頭上に9匹の龍をいだき、右手に剣を持ち、左手を腰のところに位置しているとされています。
跋難陀は難陀の弟で二大龍王と呼ばれていました。

番外
ここから数か月後、地元の青森県八戸市に帰ってきた時です。ふっと自宅2階から空を見ると。あっと、驚くような光景に出会いました。

それが、これ。

龍の顔です。



つづいて、
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