レトロ調の中での思い出が気分を一新させる不思議な喫茶店

オーラ散歩 浅草 喫茶「シルクロード」
東京都台東区西浅草3丁目14-11
私と友がつづいて訪れた場所は浅草ビューホテルの裏にある喫茶店でした。
店の白い壁の上の看板よくご覧ください。
松竹歌劇団(SKD)のメンバーによる白のジャケットに白い帽子でのラインダンスです。
今はもう色あせちゃっていますけど。

そして、庇(ひさし)にはこう書かれてあります。
「シルクロードはSKDスター憩いの場でした」

それだけ、団員らに愛された喫茶だったんですね。

松竹歌劇団
ここの店の奥には松竹歌劇団(1928年から1996年まで日本に存在した大衆娯楽演芸およびミュージカル劇団)の団員らの写真やサインなどが飾られた思い出のコーナーがあります。

この歌劇団は、1928年(昭和3年)8月、大阪松竹の資本の元、東京松竹歌劇部が部員14名で浅草の地に発足され、劇団員の憩いの場所と選んだのが、ここの喫茶「シルクロード」でした。

トップスター現る
突然、店に4人の女性が現れます。
この方たちは、元松竹歌劇団のスターの面々。千羽ちどり、銀ひ乃で、高城美輝、明石薫です。

この4人は平成4年、東京都台東区雷門1-16-11チドリビル内に、有限会社STAS(スタス)を立ち上げます。会社名はそれぞれの頭文字を取り名付けられました。
やはり、ここの喫茶店が居心地がいいのでしょうね。

店内の空間
外観の看板と庇に書かれてある内容に惹かれ店内の入ると、レトロそのもので、くつろぎの空間を感じてしまう。アットホーム的な店内には懐かしさを覚えてしまいます。

メニューに目を通すと「モーニングセット」から「ナポリスパゲティセット」までメニューが充実しています。
その中で人気メニューを尋ねると「カレーライスセット」。

幾つかのルーをブレンドして濃くのある美味しさに整えてあると言います。
ランチは4種類で1週間ごとに変わるそうです。

癒し
この落ち着いた雰囲気の中で、この豊富なメニューには松竹歌劇団(SKD)の団員の方々も、ゆったりとした時間を過ごせたことでしょう。

レビューやミュージカルの華麗なる演技は、ここの癒しの空間があるからではないでしょうか。その証拠に店内の壁には、当時通ったスターのポスターや舞台写真、プロマイド、サインが飾られています。

その当時のスターが思いがけない時に顔を出す場合があります。
過去の癒しの空間を現在に活かそうとしているのかもしれません。

下町の聖地
友がこう言います。
「浅草ってとこは、芸人さんを見ることができて、劇場も近くにあって、オペラのミュージカルもあったりとかして、歩いていろんな芸術が見れたんですね。」

この事に私がさらにこう続けます。
「日本最古の遊園地”浅草花やしき”もあるし、もう全てが”下町の聖地”なんですよ。ここは。浅草が不思議なのは、何とも言えないような空気が違うのよ。時間がゆっくり流れてた頃の、ロマンティックな空気がまだ存在してあるのよ。何とも懐かしい、その空気が。」

リフレッシュ浅草
「その時代は生きてないけど、何かそこに連れて行ってもらってるような雰囲気になってしまいます。ほんとうにここは不思議なところです」

これに私がこうつづけます。

「そうなの。日常で今、ガラスと鉄とコンクリートのビルだらけで無機質な状態の中で、頭を抱えている人がたくさんいるでしょ。そういった方は、リフレッシュするには浅草が一番いいところですよ。ぜひ、お越しいただきたいと思います。」

浅草の歴史
1923年(大正12年)9月1日、神奈川県と東京府を中心に南関東地区を大地震が襲います。木造住宅が密集していた東京市(現在の15区)は広範囲に渡り火の海に飲み込まれ、浅草は焼け野原になります。

復興を遂げた浅草に次に襲い掛かってきたのが1941年(昭和16年)12月8日、第二次世界大戦の開戦です。
1944年(昭和19年)11月24日以降100回以上の空襲を受けるのですが1945年(昭和20年)は数多くの焼夷弾が投下され、浅草も壊滅的な被害を受け、浅草寺の本堂と五重塔が焼失。

仲見世もほとんど残っていませんでした。

ネバーギブアップ
こんな中でも浅草の人たちは諦めませんでした。骨組みだけの建物で営業を再開しだしたのです。昭和23年5月には三社祭が復活し浅草寺も再建されます。

浅草人の持っている江戸っ子気質が浅草を大きく変へ、現在では年間2000万人の人々が訪れる浅草に生まれ変わらせたのです。

つづいて、
 浅草「今戸焼工房」
招き猫が運を運んでくれますよ

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