手作り招き猫でさらなる幸運を 今戸焼工房

 浅草「今戸焼工房」
東京都台東区今戸1丁目2−18
私と友がつづいて訪れたのは、500年の歴史を誇る今戸焼の工房でした。

今戸焼の歴史
1573年-1592年(天正時代)浅草の東北方面(今戸地区や橋場地区)で生産が始められていたようです。

招き猫
ここの工房で作られているのは、日本で代表的な縁起物の「招き猫」。

ここのオーナーの白井さんがこう言います。
「江戸時代、浅草の今戸には瓦職人が多くおりまして、その傍らで人形を作ったのが、招き猫の始まりと言われております。関東大震災を境に地方に引っ越したり、廃業する職人さんも増え30軒ほどあった窯元は、当工房の1軒だけになってしまいました」

継承
「私が、ここの工房の5代目となる主人の元に嫁いだのは1970年のことです。」
「3人の子供にも恵まれました。」

「そして、2008年のことです。今戸焼の最後の職人と言われた主人が他界し、私がこの職人技を受け継ぐことにしました」

お地蔵さん
ここで私がこんな事を尋ねます。
「まったく話が違うんですが、お地蔵さんを作られていますか?実は、女将さんの後ろに、さっきからずっとお地蔵さんが見えているんですよ」

この事に白井はこう答えます。
「お地蔵さんは作ってないんですけど。でも、とっても嬉しいですね」

さらに私がこう尋ねます。
「お地蔵さんを作っていないとすれば、お地蔵さんを信仰していたことはありませんか?」

この事に白井がさらにこう言います。
「信仰もしていませんでしたが、すぐそこに待乳山聖天本龍院ってあるんですけど。そこで写経をしていました。そこには、お地蔵さんがたくさんありますよ。うちの3人の子が20歳になるまで、お地蔵さんに前掛けを差し上げておりました」

恩返し
これに私がこう言います。
「あ、そうですか。お地蔵さんにお参りしたり、写経したり、だから、女将さんのことを一生懸命守っています。このお地蔵さんは『笠地蔵』だから守ってくれているんです」

今戸焼工房の女将の白井さんは、子供が産まれる度に近所の、待乳山聖天本龍院のお地蔵さんに赤い前掛けを作ってはお供えしていました。
現在は、お孫さんのためにお参りを続けているようです。

笠地蔵の話
東北地方の山深いところに小さな村がありました。
冬となると、とっても雪深いところでした。

ここに住む老夫婦の話になります。
年の瀬の迫る、ある日の事です。

米びつも底をつきそうになっていましたので、爺様は婆様の作った正月用の髪飾りを町に売りに行くため山を下りました。
その途中のことです。

地蔵峠に差し掛かるとお地蔵様の頭の上には雪がありました。そこで爺様はその頭の雪を掃ってあげます。町に着き髪飾りを売って歩くのですが一向に売れません。
そこに笠売りのお爺さんがやってきます。このお爺さんも全く笠が売れません。

そこで2人は、話し合いお互いに髪飾りと笠を交換します。

吹雪の中の地蔵
そして、お互いに家路につきます。笠を手にした爺様が地蔵峠に着くと、そこは吹雪の中です。爺様は7体の地蔵を見付けると、1体、1体、頭や肩の雪を掃い笠をかぶせていきます。

しかし、笠がひとつ足りません。
そこで爺様は、自ら使用している手ぬぐいを首から外し、残り1体の地蔵様の頭に被せます。帰宅した爺様は先ほどの地蔵峠の話を婆様に話して聞かせます。
これには婆様も大いに喜びました。

恩返し
その夜のことです。
外で「どすん!どすん!」
と何か大きく重たい物が落ちるような音がします。

2人は布団から起きだし外に出てみると、家の前には米俵や野菜・魚・小判までもが山積みに積まれてありました。

その向こうには、6体の笠を被った地蔵と手ぬぐいを被った1体の地蔵が帰る後ろ姿を確認できました。
恩返しのことすらも考えていなかった爺様と、
地蔵様に笠を被せてきた爺様のこの行為をとっても喜んで迎えてくれた婆様。

心優しい老夫婦に対してのお地蔵様からの恩返しでした。
そして、老夫婦は素敵な新年を迎えるのです。

つづいて、
オーラ散歩 浅草「今戸神社」
ここのオーラの良いですよ~

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