もんじゃ焼きが実に旨い 純喫茶マウンテン

 浅草 喫茶「マウンテン」
東京都台東区浅草1-8-2 1F&2F
私と友がつづいて訪れたのは、1階はレトロな雰囲気を醸し出す、準喫茶マウンテン、2階はお好み焼きともんじゃ焼きマウンテンを経営しているお店でした。
ここ浅草には昔ながらの喫茶店がたくさん存在します。

もんじゃ焼き
お好み焼きは、お好みの物を加え焼きますので、そのまま「お好み焼き」となります。だったら、もんじゃ焼きは?と考え調べたところ、

1819年(文政2年)まで遡り、葛飾北斎の代表作の「北斎漫画」の中にもんじゃ焼きの挿絵がありました。この当時の名前は「文字焼き」です。
焼く時にタネで文字を書くことが出来るところから「文字焼き」となり、これが訛って「もんじゃ焼き」となったとされています。

因みに、葛飾北斎は武蔵国葛飾郡本所割水下(現在の東京都墨田区の一角)で産まれており、ここから葛飾の名を使用したのでしょう。

もんじゃ焼きが、現在のようなスタイルになったのは昭和20年の戦後からで、浅草が発祥の地とされているようです。

どんどん焼き
もんじゃ焼きから発生したのがどんどん焼きになります。大正時代から昭和10年代にかけて東京を中心に流行しだし全国へと広まっていきます。

作りかたは乗せ焼きが基本となっています。この焼き方が基本形となり屋台では多様な形で販売されていきます。
山形県では特有の地域料理ソウルフードにもなっていて、その形は割りばしに丸め提供されています。

この気になるどんどん焼きの名前ですが、作っては売れ、作っては売れ、とその場からどんどん売れていくことからどんどん焼きと名付けられた説と、太鼓をどんどん叩きながら販売していく、そのスタイルからどんどん焼きと名付けられた説とがあります。

他にも名付けの説があるようですが、当時を知るものの間でも意見が別れ、定説は分かれております。いずれにしろ、「どんどん焼き」も「お好み焼き」も「たこ焼き」も浅草の「もんじゃ焼き」がその元祖なのです。

おススメ
ここで私がこう言います。
「いつも、ここに来た時に、必ず注文するのがあります。それは、抹茶生地のあんこ巻。これが実に旨いんです」

と言いながら自分で焼きますが、仕上がりに失敗してしまいます。でも、女将さんの石井さんがすかさずフォロー。すると女将さんのオーラを診断しながらこう尋ねます。

愛に包まれて
「綺麗な紫色(情愛)が出ていますね~ 信仰深くありませんか?」

ここの喫茶「マウンテン」は昭和23年の戦後の復興のさ中に開店。現在の女将は、二代目のご主人の元に嫁ぎました。しかし、12年前にご主人が亡くなり2人の子供を育てながら1日たりとも休まず、この喫茶店を支え続けてきたのです。

そんな中でも亡き主人の事を忘れることなく、毎日の供養は欠かせませんでした。

ご主人がそばにいる
つづけてこう言います。

「これだけね、お店も歴史があるとね、こちらに来られた方で、もうこの世にいない方もいっぱいいらっしゃるはずです。だからそういう、いっぱい思い出が染み込んでるところって、愛情を感じます。下のお店の奥の方に、いつもご主人、いらっしゃらいましたね。今も座っておりますよ」

この事を聞いた女将さんはこう言います。
「はい、いつも、その場所に座っておりました。それに、亡くなってからも、すごく愛されているという、そんな感じがしておりました」

人情溢れる浅草
この亡き旦那様がいつも女将さんの側で支えてあげていたのです。ほんと浅草は人情溢れるところです。下町に生きる人たちの暖かい心が生み出しているに違いありません。

つづいて、
 染絵手ぬぐい専門店「ふじ屋」
ここの染め絵の技には驚きです

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