松竹少女歌劇団(SSK)の想い出の場所 

 「国際劇場」
東京都台東区西浅草3-17-1

昭和12年(1937年)7月3日、幸龍寺(湯島、浅草と移転するも大正12年(1923年)の関東大震災の影響により昭和2年(1927年)世田谷区北烏山に移転)の跡地に松竹の資本の元、東洋一の五千人劇場と言われた浅草に国際劇場が開場されます。

小月冴子
ここのこけら落としの舞台は松竹少女歌劇団(SSK)の「第8回東京踊り」でした。

※少女歌劇団:大正から昭和初期にかけて誕生した少年少女音楽隊が流行りだしていく。この事を背景に女性のみの歌劇団が1928年ごろに誕生発展しだします。

この時、松竹歌劇団(SKD)の男役スターとして「第8回東京踊り」を国際劇場の初舞台を踏んだのは、後に大幹部となる小月冴子でした。

※小月冴子:1922年12月24日-2012年12月3日、89歳没:昭和11年、松竹少女歌劇学校に第4期生として入団する。昭和19年幹部に昇進し、昭和21年には大幹部に昇進となる。同年『ハムレット』タイトルロール=オペラやバレエ、演劇、映画などにおいて、作品名と同じ名前の役や昭和23年、1948年『猿飛佐助絢爛城へ行く』の早百合姫で人気を集める。昭和62年、紫綬褒章を受章。

公演内容と歌劇団
その後の公演は、松竹歌劇団(SKD:1928年から1996年まで松竹を母体としたミュージカル劇団)の大衆娯楽演芸は主に東京踊り、春のおどり、夏のおどり、秋の踊りと松竹映画との組み合わせで、それ以外は歌謡、剣劇、喜劇等が上演されていきます。

しかし、1960年頃から徐々に低迷の兆しが表れはじめミュージカルに転向するも一向に上向き傾向にならず松竹歌劇団は1996年をもって解散となりました。

昭和45年(1970年)以降の大型連休(ゴールデンウイーク)はザ・ドリフターズ(音楽バンド及びコントグループ1970年から1980年に活躍)の特別公演がおこなわれるようになります。

1981年(昭和56年)12月14日~12月18日、キング・クリムゾンの来日公演が行われます。1982年(昭和57年)4月5日、松竹歌劇団公演・第51回「東京踊り」をもって閉鎖となります。

今でも国際通りと呼ぶのはここからの由来なのです。
松竹が運営し松竹歌劇団や演劇などが上演していました。

※キング・クリムゾン:イングランド出身のプログレッシブ・ロックバンド。1968年に結成。2019年4月、結成50周年記念欧米ツアーをおこなう。リーダーはロバートフリップ(1976年5月16日、77歳)
メンバーは14人ほど入れ替わりましたがリーダーのロバートは結成時から現在まで頑張っています。2018年12月21日、名古屋国際会議場センチュリーホールでコンサートを行いました。
次回の公演について、2022年7月、ロバート・フリップ本人が取材にこう答えています。「我々の年齢の現実からすれば、今後のツアーは難しい』『キング・クリムゾンのギターパートは演奏オリンピックのようなもので、若い頃のようなアスリート能力を求められても応えるには困難』
だと否定しました。

そして、こんな事件もおこりました。

塩酸事件
1957年1月13日、美空ひばり(当時19歳)がここの劇場で「花吹雪おしどり絵巻」に出演している時でした。花道から突然19歳の少女が舞台に這い上がり、ひばりの顔をめがけて硫酸を浴びせかけます。

劇場内は騒然となり公演は中止。そして、ひばりは母親と共に近くの病院へと。左側の顔、腕や胸、背中に火傷を負いますが、回復は早く同月29日の大阪公演の舞台に立つことができました。

犯人の少女は熱狂的なひばりのファンで、どうしても一度お会いしたかった。でも、どうしても、会うことができない。電話を掛けても自宅に行っても。
「こんなに好きな、ひばりちゃんが憎い!だったら。硫酸を浴びせ、醜くなった顔が見たい」と犯行に及びます。

今から62年前の出来事になります。美空ひばりの存在はそのものが魅力的で活躍していただけに、その当時は大分大騒ぎとなりました。この事件を切っ掛けに警戒レベルがさらに向上されていくことになります。

現在、ここの跡地は浅草ビューホテルになっています。

つづけてご覧ください。
「あさくさ花やしき」

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