国内初のローラーコースターが元気に走り続ける 浅草花やしき 


色々な歴史が”花やしき”をここまで育ててくれました。
ローラーコースターの話にはちょっと驚くかもしれません。

嘉永6年(1853年)日本で最初の遊園地が開園となります。この年の6月3日、神奈川県三浦郡浦賀町にペリーの黒船が来航。その6日後の6月9日、ニューヨーク万国博覧会が開幕されます。このような年でしたので、
どのような遊園地が開園したのか想像しながらご覧くださいませ。

花園(かえん)
団子坂(現在の文京区千駄木のあたり)と呼ばれるこの場所で地元の植木・造園職人の森田六三郎が菊細工や牡丹をあしらった花園として開園したのが1853年(嘉永6年)の江戸期のことです。この当時は園芸業者がお互い競いながら菊人形作りが盛んにおこなわれていました。

このことから、特定生産者による品物として流通するようになっていきます。
この事もあり花園は「花屋敷」と呼ばれるようになります。

明治時代
この当時の敷地面積は約8万㎡=24200坪、東京ドームの約1.7倍。江戸期ですので俳人や歌人らの園遊会などが開かれたり、武家の方々にも広く開放されたりしていました。明治に入り浅草寺一帯は浅草公園地となるのですが、花屋敷は元八番組・元九番組・元十番組の一部が合併して第5区となっていき、その敷地面積は縮小されてしまいます。

1872年(明治5年)頃からブランコやシーソー等の遊具も設置されるようになっていき、
1883年(明治16年)には大眼鏡館(望遠鏡)等が置かれるようになります。

1885年(明治18年)材木商の山本徳治郎がここの経営を引き継ぐこととなります。ここから本格的な遊園地化がなされていきます。ここの利用者は上流階級の方々から一般庶民にも浸透し全国的に見世物興行が広まっていき、ここ花屋敷も動物園的な役割も果たすようになっていきます。

1887年(明治20年)には五層の楼閣「奥山閣(おうざんかく)」が移築され翌年に公開されます。
1907年(明治40年)浅草六区の東京勧業博覧会から観覧車が移築されます。それ以外に映画館や演芸場の娯楽施設も立ち並ぶようになります。

大正時代
明治末年に団子坂は興行地としては衰退していきます。大正時代に入り花屋敷では虎の出産やライオンの出産で話題を振りまき全国有数の動物園として名を馳せるようになります。
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒、関東大震災が起きる。浅草区の中心部も焼失し展望塔の凌雲閣も失ってしまうも浅草寺と花屋敷は大きな被害はなく多くの罹災者を受け入れる場所の確保のため動物らを服毒させてしまうのです。

昭和時代
昭和元年からは第一次世界大戦の反動不況や関東大震災の影響により芳しくない経済状況下の中にありました。そんな1931年(昭和6年)満州事変が勃発します。翌年には満州国が建国されますが、ここの辺りから他国との国際協調体制が崩れ出していき、1935年(昭和10年)動物園の規模縮小が伝達され動物らを仙台市立動物園に売却します。
そして、花屋敷は閉園。

1939年(昭和14年)株式会社 聚楽が花屋敷を買収し「食堂遊園地浅草楽天地」として開園します。
その2年後の1941年(昭和16年)聚楽が松竹に花屋敷を売却。新たに合資会社花屋敷が設立され天草支配人のもと遊戯施設「劇場楽天地」が開園。

1942年(昭和17年)第二次世界大戦の真っ只中、強制疎開により劇場や映画館の施設は取り壊されてしまい、翌年の1943年(昭和18年)8月12日、金属類回収令が制定され花屋敷の遊具もその的にされます。

終戦後の1947年(昭和22年)天野支配人が遊園地等に業務用遊具機器の納品実績がある東洋娯楽機メーカーの山田貞一社長に共同経営を持ち掛け名前を「浅草花屋敷」として再開園いたします。

その2年後の1949年(昭和24年)経営自体を東洋娯楽機に委ねる事となり、名前を「浅草花やしき」として改名し新たなスタートを切ることになります。新しい支配人を務めたのは山田貞一社長の娘婿の高井清が務めることに。

1953年(昭和28年)東洋娯楽機から国内初のローラーコースターが導入されます。日本現存最古のコースターは71歳となり令和6年を迎えました。今日も元気に走り皆さんを楽しませてくれていますよ。
年齢制限もありますのでご注意を。(65歳以上の方は乗車できませんので)

平成時代
メーカーの東洋娯楽機は1984年(昭和58年)株式会社トーゴに社名変更し「浅草花やしき」の運営にあたるも、2004年(平成16年)1月19日、テーマパークブームの衰退とともに売上げを落とし破綻。

その後、浅草花やしきの運営権はバンプレストとなり、2006年(平成18年)2月28日、バンダイナムコホールディングスがTOBと株式交換でバンプレストを完全子会社化としたため、「浅草花やしき」の運営権も渡ります。

令和6年で「花やしき」は開園170年を迎えました。
只今、キャンペーンを実施しております。お子様らと遊びにおいでになってくださいませ。

つづいて
浅草オペラ 思い出の人々

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