家族の幸せに夫婦箸を銀座夏野
「銀座 夏野」箸の専門店
東京都中央区銀座6丁目7−4 銀座タカハシビル1F
ここで店主の高橋隆太さんにこう尋ねます。
「どういう心がけで、お箸だけのお店を作ろうとお思いになったのですか?」
この問い掛けにこう答えます。
「箸は日本人の誰もが使う本当に大事な道具です。なのに専門店がないのは不思議だなと思い。これが切っ掛けとなりました。だったら、自分らで始めることにしました」
お父さんの箸
そして私がこんな事を言います。
「箸って思い出すのが”お父さんの箸”とか”お母さんの箸”そして”子供の箸”ですね」
ここで友がこんなことを付け加えます。
「そこなのよ。日本人だけが、お父さんの箸だと言って、この箸を使っちゃいけないの。これが父親の権威というもので、みんなに知らしめているのです。」
「それを保つためにお父さんの箸があります。その次にあるのが、お母さんの箸、この箸は優雅に彩られています。そして、子供たちの箸になります。」
「それぞれの箸によって色彩から何から全部違います。世界の歴史の中でこのようなものはありません。日本がいかに食文化で洗練された文化をもっていて、いかに素晴らしいかが分かるわけで、その一つの象徴となるのが箸なのです」
そしてこう続けます。
「箸は津軽塗から何からたくさんの箸があります。私は食事のたびに箸の使い分けをしています。そのほうが食事がとっても楽しくなりますよ」
箸の歴史
607年、遣隋使として中国に派遣された小野妹子らが持ち帰った箸と匙を聖徳太子が朝廷の儀式において使用したとの記録があります。また、日本の古事記(712年)や日本書紀(720年)によると神代(かみよ:神の時代)の頃から箸は存在したと書かれてあります。
祭祀(神道)や儀式の際に箸は用いられていましたが一般民衆は手食をしていたようです。
ではいつ頃、民衆は箸を持ち食事をするようになったのか、それは8世紀(奈良時代 710年~794年)頃と手食から箸食制度が進められたようです。寿司を手で掴んで食べるのはその名残なのでしょうか。
主な箸
若狭塗:福井県小浜市の若狭塗箸が有名で全国のシェア80%を占めています。
輪島塗:石川県輪島市の漆器で丈夫さに重きをおいています。
津軽塗:青森県弘前市の伝統工芸品の一つで、江戸時代中期までは藩名から「弘前塗」と呼ばれ、また何重にも塗り重ねることから「馬鹿塗」とも称されています。2017年、国の重要無形文化財に指定されます。
会津塗:福島県会津地方に伝わる伝統工芸品の一つ。歴史的には輪島塗・津軽塗よりも早い・花塗・薪絵・乾漆など技法があります。
秀衡塗:岩手県で作られている漆器で平安時代末期、奥州藤原氏第三代当主・藤原秀衡が平泉地方の有り余るほどの漆と金を使い漆器を作らせたのが始まりとされています。1985年、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されます。
北海道のアイヌが使用した箸
アイヌの使用していた箸は日常使用するものと神事に用いられるものに分けられていました。日常使われていた箸はこう呼ばれていました「パスイ」または「イペパスイ」
箸の形状は日常、我々が使用しているものと同じですが箸自体に彫刻が施され頭部には鎖のようなものを付けたものもあります。
また、死者を送る際の副葬品には新品の箸を持たせています。子供が1歳になった際のお祝いには鈴状の飾りを施した箸「ドムシコッパスイ」と呼ばれるものを与えられていました。この箸が使っているうちに壊れると、それは元気な証拠と祝福されています。
神事の酒を捧げる際の箸はへら状の一本箸で「イクパスイ」(棒酒箸)と呼ばれ装飾が施され重要な儀式で使用されています。また、神が食事する際の箸は二本箸で「カミイイペパスイ」と呼ばれ神前に置かれています。
つづいて、
東宝ダンスホール
ここの空間は凄すぎです
東京都中央区銀座6丁目7−4 銀座タカハシビル1F
ここで店主の高橋隆太さんにこう尋ねます。
「どういう心がけで、お箸だけのお店を作ろうとお思いになったのですか?」
この問い掛けにこう答えます。
「箸は日本人の誰もが使う本当に大事な道具です。なのに専門店がないのは不思議だなと思い。これが切っ掛けとなりました。だったら、自分らで始めることにしました」
お父さんの箸
そして私がこんな事を言います。
「箸って思い出すのが”お父さんの箸”とか”お母さんの箸”そして”子供の箸”ですね」
ここで友がこんなことを付け加えます。
「そこなのよ。日本人だけが、お父さんの箸だと言って、この箸を使っちゃいけないの。これが父親の権威というもので、みんなに知らしめているのです。」
「それを保つためにお父さんの箸があります。その次にあるのが、お母さんの箸、この箸は優雅に彩られています。そして、子供たちの箸になります。」
「それぞれの箸によって色彩から何から全部違います。世界の歴史の中でこのようなものはありません。日本がいかに食文化で洗練された文化をもっていて、いかに素晴らしいかが分かるわけで、その一つの象徴となるのが箸なのです」
そしてこう続けます。
「箸は津軽塗から何からたくさんの箸があります。私は食事のたびに箸の使い分けをしています。そのほうが食事がとっても楽しくなりますよ」
箸の歴史
607年、遣隋使として中国に派遣された小野妹子らが持ち帰った箸と匙を聖徳太子が朝廷の儀式において使用したとの記録があります。また、日本の古事記(712年)や日本書紀(720年)によると神代(かみよ:神の時代)の頃から箸は存在したと書かれてあります。
祭祀(神道)や儀式の際に箸は用いられていましたが一般民衆は手食をしていたようです。
ではいつ頃、民衆は箸を持ち食事をするようになったのか、それは8世紀(奈良時代 710年~794年)頃と手食から箸食制度が進められたようです。寿司を手で掴んで食べるのはその名残なのでしょうか。
主な箸
若狭塗:福井県小浜市の若狭塗箸が有名で全国のシェア80%を占めています。
輪島塗:石川県輪島市の漆器で丈夫さに重きをおいています。
津軽塗:青森県弘前市の伝統工芸品の一つで、江戸時代中期までは藩名から「弘前塗」と呼ばれ、また何重にも塗り重ねることから「馬鹿塗」とも称されています。2017年、国の重要無形文化財に指定されます。
会津塗:福島県会津地方に伝わる伝統工芸品の一つ。歴史的には輪島塗・津軽塗よりも早い・花塗・薪絵・乾漆など技法があります。
秀衡塗:岩手県で作られている漆器で平安時代末期、奥州藤原氏第三代当主・藤原秀衡が平泉地方の有り余るほどの漆と金を使い漆器を作らせたのが始まりとされています。1985年、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されます。
北海道のアイヌが使用した箸
アイヌの使用していた箸は日常使用するものと神事に用いられるものに分けられていました。日常使われていた箸はこう呼ばれていました「パスイ」または「イペパスイ」
箸の形状は日常、我々が使用しているものと同じですが箸自体に彫刻が施され頭部には鎖のようなものを付けたものもあります。
また、死者を送る際の副葬品には新品の箸を持たせています。子供が1歳になった際のお祝いには鈴状の飾りを施した箸「ドムシコッパスイ」と呼ばれるものを与えられていました。この箸が使っているうちに壊れると、それは元気な証拠と祝福されています。
神事の酒を捧げる際の箸はへら状の一本箸で「イクパスイ」(棒酒箸)と呼ばれ装飾が施され重要な儀式で使用されています。また、神が食事する際の箸は二本箸で「カミイイペパスイ」と呼ばれ神前に置かれています。
つづいて、
東宝ダンスホール
ここの空間は凄すぎです
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