歴史的な文豪たちが文房具を求めた相馬屋源四郎商店

オーラ散歩「相馬屋源四郎商店」
東京都新宿区神楽坂5丁目5
私と友がつづいて訪れたのは相馬屋源四郎商店でした。
ここは、なんと江戸時代に創業し約360年間つづいています。
ここまでくると神楽坂では最古参ですね。

驚くことに、社有地には牛込城の石垣が残っているそうです。ほんのちょっと、この牛込のことについて調べてみましたら、江戸時代は大名や旗本が集中して住んでいた場所でした。
この石垣をどうしても見てみたいという思いにかられ。お願いしましたところ。
残念なことに、ここは見学をお断りしているとのこと。

さらに驚いたのは徳川御三家に和紙を納めていたとのことでした。
徳川義直:1601年1月2日、京都伏見城(現在の清涼院)で誕生。徳川家康の9男。側室の子。江戸時代初期の大名、尾張徳川家の始祖。

徳川頼宣:1602年4月26日、京都伏見城(現在の清涼院)で誕生。徳川家康の10男。母親は養珠院(お万の方)。駿河国駿府藩を経て紀伊国和歌山藩の藩主となる。

徳川頼房:1603年、京都伏見城(現在の清涼院)で誕生。徳川家康の11男。母親は養珠院(お万の方)。常陸水戸藩の初代藩主。

さらに、歴代的な文豪のご用達の店でもあり、毎日のように原稿用紙を購入に訪れていたようです。ここまでくると歴史を感じます。
その面々をどうぞご覧くださいませ。

北原白秋:1885年(明治18年)1月25日-1942年(昭和17年)11月2日、57歳没。
本名、隆吉。熊本県玉名郡関外目村(現在の南関町)に誕生。代表作「雲母集」(歌集)「からたちの花」(童謡集)などがあります。

石川啄木:1886年(明治19年)2月20日-1912年(明治45年)4月13日、26歳没。
本名、一 ”はじめ”。岩手県南岩手郡日戸(現在の盛岡市日戸)に誕生。
与謝野鉄幹(晶子の夫)から厚い待遇を受けて詩人としてデビューする。代表作の詩集「あこがれ」歌集「一握の砂」などがある。

坪内逍遥:1859年6月22日安政6年5月22日-1935年(昭和10年)2月28日、75歳没。
美濃国加茂郡太田宿(現在の岐阜県美濃加茂市に誕生。本名、雄蔵。
1884年(明治17年)「ジュリアス・シーザー」の浄瑠璃風翻訳「該撒奇談 自由太刀余波鋭鋒」を出版し、翌年「小説神髄」も出版します。
1909年(明治42)文芸協会の責任者となりシェイクスピアを上演、演劇革新にも取り組みます。1928年(昭和3)「沙翁全集」全40巻を完訳。1933年(昭和8)「新修シェークスピヤ全集」全40巻を刊行します。

尾崎紅葉:1868年1月10日(慶応3年12月16日)-1903年(明治36年)10月30日、36歳没。江戸芝中門前町(現在の東京都芝大門)に誕生。本名、徳太郎。
「二人比丘尼色懺悔」で』で文壇的地位を確立します。井原西鶴の影響を受け雅俗折衷文体の小説で知られるようになります。幸田露伴と共に紅露時代を作り上げていきます。俳句も手がけます。代表作は「伽羅枕」「多情多恨」「金色夜叉」など。

与謝野鉄幹:1873年(明治6年)2月26日-1935年(昭和10年)3月26日、62歳没。
京都府岡崎町(現在の京都市左京区)で誕生。本名、寛。
妻、与謝野晶子。1899年(明治32年)新誌社を創立し「明星」を創刊します。北原白秋、吉井勇、石川啄木を育成しロマン主義運動の中心的役割を果たしていきます。代表作は歌論「亡国の音」、誌歌集「東西南北」訳詩集「リラの花」等々。

与謝野晶子:1878年(明治11年)12月7日-1942年(昭和17年)5月29日、63歳没。本名、志やう(しょう)ペンネームの晶子の晶は本名の(しょう)から取ります。
堺県和泉国第一大区甲斐町(現在の大阪府堺市堺区甲斐町東1丁)1900年(明治33年)歌会に招かれ、ここの席で旦那となる与謝野鉄幹と出会うのです。そして鉄幹が創設した新詩社の「明星」に短歌を発表します。翌年、処女作の「みだれ髪」を刊行。
その後、紫式部のその当時の言葉を訳した「新源氏物語」を出版します。

原稿用紙
明治時代、中期にはじめて和半紙だった原稿用紙を作り売り出すも、尾崎紅葉のアドバイスで洋紙にして相馬屋製として売り出したところ、これがズバリ的中し今日にいたります。紅葉さんはビジネスのセンスもあったんですね。

つづいて、
神楽坂「かくれんぼ横丁」
ここの旅館はオーラありすぎですよ

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