勝負事の利益を祈るなら善國寺の毘沙門天を
「毘沙門天 善國寺」神楽坂オーラ散歩
東京都新宿区神楽坂5丁目36
私と友一がつづいて訪れたのは神楽坂のシンボルと言える日蓮宗の寺院の毘沙門天 善國寺。ここの旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺と言います。
ここの場所は映画「しゃべれども しゃべれども」などのロケ地としも採用されています。
私たちを境内で待ち受けていたのは「新宿タウンガイド認定証」の名刺をつけていらっしゃる方でした。
この方の説明によると、1595年、安土桃山時代(文禄4年)池上本門寺第12代貫主である日惺上人(にっせいしょうにん:徳川家康より江戸に寺地を与えられて善国寺など五か寺を開創する)により馬喰町に開創するも火災に見舞われ1793年(寛政5年)ここ神楽坂に移転となったようです。
本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め特に勝負事に利益ありとして崇められました。
山の手七福神
また、正伝寺(東京都港区芝1丁目12-12)と正法寺(東京都世田谷区松原5丁目43-30)と共に江戸の三毘沙門と言われていました。
現在は、新宿山の手七福神のひとつに数えられています。
大乗山経王寺の大黒天:
新宿区原町1丁目14、食物・財福を司る神で、現在は米俵に乗り福袋と打ち出の小槌を持った微笑の長者形で知られる。鼠が大黒天の使いであるとされています。
厳島神社の弁財天:
新宿区余丁町8-5、水の女神で、後に芸術・学問などの知を司る女神と見なされるようになります。ヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻であるのです。他方で弁才天は、音楽神、福徳神、学芸神の性格に加え、戦勝神の性格も持つものがあり、像容は、2臂像と8臂像の2つに大別されます。
大久保山永福寺の福禄寿:
新宿区新宿7丁目11-2、幸福(血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものになります。
春時山法善寺の寿老人:
新宿区新宿6-20-16、長寿と自然との調和のシンボルであり牡鹿をいつも従えています。
霞関山太宗寺の布袋和尚:
新宿区新宿2丁目9-2、肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになります。
稲荷鬼王神社の恵比寿神:
新宿区歌舞伎町2丁目17-5、日本古来の唯一の福の神です。古くから漁業の神でもあり、後に留守神さらには商いの神ともされています。
善國寺の毘沙門天:
新宿区神楽坂5丁目36、福徳を司る神として広く信仰されています。
文化財
毘沙門天像:新宿区指定有形文化財ー像高30センチ、木造、日惺上人が池上本門寺(東京都大田区池上1丁目1)へ入山する際、二条昭実(安土桃山時代から江戸時代初期の公爵)から贈られたとされています。
「直接、像を見ることはできません。」
「御開帳日は毎年1月、5月、9月の寅の日。何故にこの日なのか。古事によると毘沙門天が寅年、寅月、寅日の日にはじめて、この世に出現したとされているからです。」
石虎:新宿区指定有形民俗文化財
「善國寺、本堂の左右に狛虎が鎮座しています。制作は江戸時代後期のものとされています。」
右側は阿形(あぎょう:大きく口を開いている)左側は吽形(うんぎょう:口を閉じている)阿吽(仏教の呪文で阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされています)
保存状態:右側が見た目には良く残っていますが、左側は損傷が激しく修復の跡がうかがえます。
毘沙門天
仏教における天部の仏神で四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の中の多聞天をいい、北方を守る仏法守護と言われています。日本では一般的に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されています。
ご朱印
御首題(ご朱印)は、本堂の右側にある寺務所でもらえます。正月は本堂の中で頂けます。御首題は他宗派や神社の御朱印が一緒になった納経帳を使用しているものを差し出すと「押すことは出来ません」と断られますのでご注意してください。
つづいて、
神楽坂「相馬屋源四郎商店」
楽しいがたくさん!
東京都新宿区神楽坂5丁目36
私と友一がつづいて訪れたのは神楽坂のシンボルと言える日蓮宗の寺院の毘沙門天 善國寺。ここの旧本山は大本山池上本門寺で鎮護山善国寺と言います。
ここの場所は映画「しゃべれども しゃべれども」などのロケ地としも採用されています。
私たちを境内で待ち受けていたのは「新宿タウンガイド認定証」の名刺をつけていらっしゃる方でした。
この方の説明によると、1595年、安土桃山時代(文禄4年)池上本門寺第12代貫主である日惺上人(にっせいしょうにん:徳川家康より江戸に寺地を与えられて善国寺など五か寺を開創する)により馬喰町に開創するも火災に見舞われ1793年(寛政5年)ここ神楽坂に移転となったようです。
本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め特に勝負事に利益ありとして崇められました。
山の手七福神
また、正伝寺(東京都港区芝1丁目12-12)と正法寺(東京都世田谷区松原5丁目43-30)と共に江戸の三毘沙門と言われていました。
現在は、新宿山の手七福神のひとつに数えられています。
大乗山経王寺の大黒天:
新宿区原町1丁目14、食物・財福を司る神で、現在は米俵に乗り福袋と打ち出の小槌を持った微笑の長者形で知られる。鼠が大黒天の使いであるとされています。
厳島神社の弁財天:
新宿区余丁町8-5、水の女神で、後に芸術・学問などの知を司る女神と見なされるようになります。ヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻であるのです。他方で弁才天は、音楽神、福徳神、学芸神の性格に加え、戦勝神の性格も持つものがあり、像容は、2臂像と8臂像の2つに大別されます。
大久保山永福寺の福禄寿:
新宿区新宿7丁目11-2、幸福(血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものになります。
春時山法善寺の寿老人:
新宿区新宿6-20-16、長寿と自然との調和のシンボルであり牡鹿をいつも従えています。
霞関山太宗寺の布袋和尚:
新宿区新宿2丁目9-2、肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになります。
稲荷鬼王神社の恵比寿神:
新宿区歌舞伎町2丁目17-5、日本古来の唯一の福の神です。古くから漁業の神でもあり、後に留守神さらには商いの神ともされています。
善國寺の毘沙門天:
新宿区神楽坂5丁目36、福徳を司る神として広く信仰されています。
文化財
毘沙門天像:新宿区指定有形文化財ー像高30センチ、木造、日惺上人が池上本門寺(東京都大田区池上1丁目1)へ入山する際、二条昭実(安土桃山時代から江戸時代初期の公爵)から贈られたとされています。
「直接、像を見ることはできません。」
「御開帳日は毎年1月、5月、9月の寅の日。何故にこの日なのか。古事によると毘沙門天が寅年、寅月、寅日の日にはじめて、この世に出現したとされているからです。」
石虎:新宿区指定有形民俗文化財
「善國寺、本堂の左右に狛虎が鎮座しています。制作は江戸時代後期のものとされています。」
右側は阿形(あぎょう:大きく口を開いている)左側は吽形(うんぎょう:口を閉じている)阿吽(仏教の呪文で阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされています)
保存状態:右側が見た目には良く残っていますが、左側は損傷が激しく修復の跡がうかがえます。
毘沙門天
仏教における天部の仏神で四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の中の多聞天をいい、北方を守る仏法守護と言われています。日本では一般的に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されています。
ご朱印
御首題(ご朱印)は、本堂の右側にある寺務所でもらえます。正月は本堂の中で頂けます。御首題は他宗派や神社の御朱印が一緒になった納経帳を使用しているものを差し出すと「押すことは出来ません」と断られますのでご注意してください。
つづいて、
神楽坂「相馬屋源四郎商店」
楽しいがたくさん!
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