世界的に有名なあのカップルも絶賛 たつみやのうなぎの蒲焼き 

かば焼き・柳川「うなぎの店 たつみや」
東京都新宿区神楽坂4-3
私と友がつづいて足を運んだのは神楽坂の「うなぎの店 たつみや」でした。

たれ
1948年(昭和23年)創業、現在2代目の高橋善夫さんが味を継承しており醤油とみりんを同量を混ぜ合わせたあっさりした味には定評があり、継ぎ足し使い続けること70年。この味には本物を感じさせる歴史的な美味しさに定評があります。

養殖
うなぎは天然ものを使わず、あえて、上質な養殖ものを使っております。お客様にはリーズナブルな価格で提供したい。この思いからです。

焼き方
焼き方は身の方だけを備長炭でしっかり焼き上げていますので、あの皮の固さを感じることはありません。うなぎ独特の本来の甘味をご堪能いただけます。

店舗
そして、ここの店は昭和のレトロを感じさせてくれる木造住宅のたたずまい、これがまたいい。この雰囲気だけで、うなぎの美味しさが期待できます。

ジョンレノンとオノヨーコ
早速、私たちはうな重を召し上がりました。お互いに出てくる言葉は「おいしい」「柔らかい」の連発。ここを訪れた文化人も多いようです。

ここで店主の高橋さんがこんな話をしてくれました。
「1980年のことですが、あのジョンレノンさんと奥様のオノヨーコさんもお見えになりました。そして、『ここでうなぎを食べてから好きになりました』とおっしゃていました」

ジョンレノン夫妻が暮らすイギリスにも、うなぎ料理はあるにはあるのですが、クリーム煮とかです。これには好き嫌いがありますからね、本場、日本の蒲焼きの美味しさに触れて驚いたのも分かるような気がいたします。

心から好きになれて本当によかった。
ジョンレノンが亡くなったのは1980年12月8日です。美味しい蒲焼きと出会ったこの年でした。命日のこの日はジョンレノンの曲を聴きながら、うな重食べます。

うなぎの食の歴史
縄文時代の貝塚からうなぎの骨が出土したのが最も古いもので5000年前です。うなぎの食の歴史ってかなり以前からあったんですね。みりんも醤油も無い時代ですから、生焼きか刺身食いかでしょう。日本人に馴染みが深かったことが分かります。

万葉集・うなぎ
日本最古の和歌集「万葉集」の中にも、うなぎが滋養強壮に効果があると書かれています。それがここの部分になります。
「石麻呂に 吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞ むなぎ(うなぎ)とり召せ」

夏痩せにはうなぎを食べなさい。と書いてあります。この時代のうなぎの食べ方は白蒸しにして塩を用いていたようです。

万葉集の中でうなぎの事をむなぎと表現していますが、これはうなぎの胸が黄色かったことから、むなぎとなった説と家の棟木に似ている事からむなぎと呼ばれ、また、料理の際に胸を開く「むなびらき」からきたとも言われております。

この呼び方から、うなぎとの呼び名になったのは12世紀頃からになります。

伝統漁法
うなぎに的を絞った伝統漁法も各地にあります。
うなぎ掻き:棒の先の方に鉤(カギ)を付け、これを操作しうなぎを引っ掛けて釣る漁法のことを言います。

うなぎ塚:うなぎの生息地に13-14センチ大の大きさの石を積み上げておき、石と石との間に潜むうなぎを捕る漁法の事をいいます。

うなぎ筒:竹筒のようなもの(筒の片方のみ解放されているもの、両方が解放されているもの、返しがついていて一度入ると出られないもの等)をうなぎの生息域に仕掛けておきます。そして、うなぎが筒の中で休んでいる時を狙い引き上げて捕る漁法のことを言います。

一般的:遊漁として釣る場合の餌に用いるのはミミズが最適とされています。その理由は、うなぎは臭覚に優れるため不自然な匂いのするものを食べないとされているからです。よく釣れる時間帯は一般的に日没から2時間前後だと言われております。

つづいて、
 中華まん・点心「神楽坂五十番総本店」
こだわりの美味しさを味わってください。

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