男をお洒落に着飾るには帽子は欠かせません
東京都中央区銀座2丁目6−5 藤屋ビル
銀座2丁目に足を延ばし癒しの散歩をはじめます。
流行のはじまり
明宏がウインドウに飾ってあるものを指差しながらこう言います。
このスタイルを見た女性らは悲鳴をあげこう言います。
「ボギー!お願い。こっちを振り向いて」
彼の行くところには女が群がります。結婚すること4度。このプレイボーイは数多くの女性に囲まれ、1957年1月14日、57歳で他界します。
男の魅力づくりのプロは天国でも、きっとモテていることでしょう。
さらに明宏はこう続けます。
「着物に似合う帽子はもうひとつ。それはパナマ帽。これもかぶり方ひとつで粋にもなるしダンディにもなれる。それに人格も変り立ち振る舞いも変身願望も満たしてくれる。男の特効薬とも言えるでしょうね」
ここでかぶり方を店主に尋ねると、こう答えます。
「利口そうに見せるには眉の少し上で並行にし、おでこを少し隠す感じでかぶります。これとは逆に チョイ悪ぽく、魅力的に見せるには帽子を傾けて少し斜めにかぶります」
着物姿にはカンカン帽かパナマ帽。さらにお洒落を加速させるには木のステッキがいいとアドバイスをしてくれます。これで、あっという間に銀座ボーイの出来上がり。想像しただけでもお洒落感が漂ってくるようです。
歴史
1917年(大正6年)3月28日、現在の千代田区神田神保町のすずらん通りに帽子店を開業いたします。この当時、流行ったのはシルクハット、中山帽、中折帽、ハンチングで特に学生らにはハンチングがよく売れ、いつも在庫がなくなるほどだったようです。
なぜ、こんなに帽子を冠る習慣が流行ったかと言いますと、天皇陛下や皇族方がご来名の時のお出迎えには、必ずシルクハットを冠ってお迎えしなければならない事からきています。
この帽子を冠る、という習慣が若者にも広がるのですが、シルクハットは激しい運動に向いていませんでした。そこで、頭の形に合っていてずれにくいハンチング帽が生まれたのです。
実用性が高く安価に生産できるハンチング帽は、徐々に学生を中心に広まっていきます。
戦争と移転
1930年(昭和5年)3月31日、銀座に出店。翌年も日本橋等々に出店し営業を続けていきます。ところが、第二次世界大戦の真っただ中の1944年(昭和19年)11月に東京も数々の空襲を受けはじめます。
そして、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の罹災者は100万人を超えました。トラヤ帽子店も閉店を余儀なくされます。ここから3年後の1948年(昭和23年)には銀座と浅草を同時開店。
1960年(昭和35年)現在の場所二丁目6-5にて営業をはじめます。
このような歴史を積み重ねてきたトラヤ帽子店は皆様方に愛されつづけ今日まで参りました。帽子が語りだすお洒落は現代社会でも同じです。
銀座2丁目に足を延ばし癒しの散歩をはじめます。
ここで目に飛び込んできたショップがりました。
そこは大正6年ごろに創業しているトラヤ帽子店です。
流行のはじまり
明宏がウインドウに飾ってあるものを指差しながらこう言います。
カンカン帽とは 麦わら帽子の一種で、水兵や船の漕ぎ手のために作られた男性用の西洋発祥の帽子だとされています。
素材は麦わらを平たくつぶして真田紐(平たく厚く組んだ木綿の組紐)のように編みプレスで固く成型したあと、糊やニスなどで塗り固めます。そのため、雨や水しぶきで帽子が損傷しないようになっています。
平らなつばと円筒形の帽子の山の部分が、このカンカン帽の特徴です。
男のお洒落づくり
そう言えば、落語家の月亭可朝はいつもカンカン帽をかぶりながら高座に上がっているのを思い出しました。それとジュリー(沢田研二)も、お洒落にチョイ悪的なかぶり方をしていつもステージに立っていますよね。
あの「カサブランカダンディー」歌っているあの姿を思い出して見てください。とってもカッコイイです。斜めに被る帽子の、このスタイルをはじめておこなったのはハリウッドの映画俳優・ハンフリーボガートなんだとか。
魅力
彼は顔もでかいし体形だってカッコいいとは言えない。でも、男の魅力を最大限に演出しました。女にモテるためにどうかぶるべきか。何千回も積み重ねます。
そして、コートの襟を立て帽子をちょい斜めに。
素材は麦わらを平たくつぶして真田紐(平たく厚く組んだ木綿の組紐)のように編みプレスで固く成型したあと、糊やニスなどで塗り固めます。そのため、雨や水しぶきで帽子が損傷しないようになっています。
平らなつばと円筒形の帽子の山の部分が、このカンカン帽の特徴です。
男のお洒落づくり
そう言えば、落語家の月亭可朝はいつもカンカン帽をかぶりながら高座に上がっているのを思い出しました。それとジュリー(沢田研二)も、お洒落にチョイ悪的なかぶり方をしていつもステージに立っていますよね。
あの「カサブランカダンディー」歌っているあの姿を思い出して見てください。とってもカッコイイです。斜めに被る帽子の、このスタイルをはじめておこなったのはハリウッドの映画俳優・ハンフリーボガートなんだとか。
魅力
彼は顔もでかいし体形だってカッコいいとは言えない。でも、男の魅力を最大限に演出しました。女にモテるためにどうかぶるべきか。何千回も積み重ねます。
そして、コートの襟を立て帽子をちょい斜めに。
そして、タバコを親指と人差し指でつまんで吸う。
このスタイルを見た女性らは悲鳴をあげこう言います。
「ボギー!お願い。こっちを振り向いて」
彼の行くところには女が群がります。結婚すること4度。このプレイボーイは数多くの女性に囲まれ、1957年1月14日、57歳で他界します。
男の魅力づくりのプロは天国でも、きっとモテていることでしょう。
さらに明宏はこう続けます。
「着物に似合う帽子はもうひとつ。それはパナマ帽。これもかぶり方ひとつで粋にもなるしダンディにもなれる。それに人格も変り立ち振る舞いも変身願望も満たしてくれる。男の特効薬とも言えるでしょうね」
この帽子の名前からパナマ産と思っている方々が多いようですが、原産国はエクアドルでパナマ草の葉を細かく裂いた紐で作られています。特に戦前、紳士用の正装にカンカン帽と共に夏に愛用されていました。
ここでかぶり方を店主に尋ねると、こう答えます。
「利口そうに見せるには眉の少し上で並行にし、おでこを少し隠す感じでかぶります。これとは逆に チョイ悪ぽく、魅力的に見せるには帽子を傾けて少し斜めにかぶります」
着物姿にはカンカン帽かパナマ帽。さらにお洒落を加速させるには木のステッキがいいとアドバイスをしてくれます。これで、あっという間に銀座ボーイの出来上がり。想像しただけでもお洒落感が漂ってくるようです。
歴史
1917年(大正6年)3月28日、現在の千代田区神田神保町のすずらん通りに帽子店を開業いたします。この当時、流行ったのはシルクハット、中山帽、中折帽、ハンチングで特に学生らにはハンチングがよく売れ、いつも在庫がなくなるほどだったようです。
なぜ、こんなに帽子を冠る習慣が流行ったかと言いますと、天皇陛下や皇族方がご来名の時のお出迎えには、必ずシルクハットを冠ってお迎えしなければならない事からきています。
この帽子を冠る、という習慣が若者にも広がるのですが、シルクハットは激しい運動に向いていませんでした。そこで、頭の形に合っていてずれにくいハンチング帽が生まれたのです。
実用性が高く安価に生産できるハンチング帽は、徐々に学生を中心に広まっていきます。
戦争と移転
1930年(昭和5年)3月31日、銀座に出店。翌年も日本橋等々に出店し営業を続けていきます。ところが、第二次世界大戦の真っただ中の1944年(昭和19年)11月に東京も数々の空襲を受けはじめます。
そして、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の罹災者は100万人を超えました。トラヤ帽子店も閉店を余儀なくされます。ここから3年後の1948年(昭和23年)には銀座と浅草を同時開店。
1960年(昭和35年)現在の場所二丁目6-5にて営業をはじめます。
このような歴史を積み重ねてきたトラヤ帽子店は皆様方に愛されつづけ今日まで参りました。帽子が語りだすお洒落は現代社会でも同じです。
2023年1月7日(令和5年)浅草店は閉店となりました。
今日、お洒落に帽子をかぶり出掛けてみませんか。
きっと、素敵な出会いが待ち受けていますよ。
つづいて、
銀座ブランスウィック
戦後のゲイバアであの人との出会い
今日、お洒落に帽子をかぶり出掛けてみませんか。
きっと、素敵な出会いが待ち受けていますよ。
つづいて、
銀座ブランスウィック
戦後のゲイバアであの人との出会い
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