美輪と三島由紀夫の衝撃的な出会いの場所は銀座ブランスウィック

東京都中央区銀座尾張町(現:銀座五丁目)

明宏と友のがぶんはお洒落に決め銀座五丁目を目指します。
その場所はとっても懐かしい「銀座ブランスウィック」

ここは戦後間もない頃、ゲイ喫茶兼倶楽部としてオープンします。

ここのことを明宏はこう言います。
「今は、跡かたもなく無くなってしまったけど、終戦後の昭和26年頃、この場所に『銀座ブランスウィック』と言うお店があって、一階が喫茶店で二階が倶楽部になっていたの」

「私が国立音楽学校に入学するため長崎から上京し、音楽学校の1年生の時にたまたま、この店の『店員募集』のチラシを見かけて店員になったのよ」

運命の出会い
「そうしたら、ここに文化人がみんな来ていて、この中の一人に三島由紀夫さんがいて、私にとっては運命的な出会いだったわ。そしてね。この店で私のことを見かけると、気にいってくれたのか、ホステスでもないのに私をこうテーブルに呼ぶの。」

『チップを弾むからここに来い!』

「でも、何度も無視を続けましたよ」
「あまりにも、しつこいのでテーブルへ行ってみると」

三島さんがこう問いかけてきたのよ。
『何か飲むか?』

そこで私はこうやって断ったの
『芸者じゃないので』

今度は三島さんがこう言うの。
『君は可愛くない子だね』

だからこう言って返してあげたの。
『私は綺麗だから、可愛くなくてもいいんです』

そして私はそのまま帰ったのよ。
「三島さんは、私の、この好意にきっとしびれたのでしょうね。ここから二人の交流が始まっていったのよ」

恋愛関係
三島由紀夫は明宏に好意をよせ、ここの店に毎日のように足を運ぶようになります。1958年に三島は結婚をするのですが、彼の存在はさもさも「愛人」であるかのように公然の秘密であるかのようにも語っていました。

メディアも三島の行くところに彼がいると「二人は恋愛関係」と書き立てます。

この事に明宏はこう言います。
「とんでもない話です。昔ある雑誌で文壇の方々と対談する連載をやっていた時です。ここに三島さんにも参加していただきました。この一度だけですよ」

長所と短所
その時、三島さんがこんなことを僕に言いました。
『君には95%の長所がある。才能もあるし美貌もある。だけど、5%の短所がある。その5%の短所は、95%の長所をいっぺんで吹っ飛ばしてしまうくらいの最悪な短所だ』

そして、私が三島さんにこう聞いたの。
『95%の長所を吹っ飛ばしてしまう短所って何?』

すると、こう返ってきたのよ。
『俺に惚れないことだ!』

「三島さんってこんな方なんです。三島さんって、本当に面白い方で、尊敬する人には絶対に恋愛感情を抱きません。尊敬できる人はあくまでも尊敬している人なんです。恋愛感情になってしまうと何かグレードが落ちるような気がするからなのでしょうね」

ここで余談になりますが、
プロレスラーの前田日明が某番組にゲスト出演なさった際に、あの三島が天からおいでになりました。何故だと思います。こちらは後ほどご説明いたします。お楽しみに。

同性愛
終戦後、言論の自由により性描写の解禁が起こり、この流れによって同性愛も大きく取り上げられるようになっていきます。作家・三島が同性愛を肯定的に論じ、男性同性愛サークル「アドニス会」が発足されます。

そして、1952年9月には日本初となる会員制ゲイ雑誌「アドニス」が発行され、この別冊の「アポロ」に別名義の榊山保で短編小説「愛の処刑」(中学の教師と男子生徒の同性愛を描いている)を寄稿します。

由紀夫の死
ここで、ちょっと「愛の処刑」で気になる事があります。

教師が生徒の前で割腹自殺を図るのですが、この時、その生徒がこう言います「先生が好きで、先生が切腹して死ぬところが見たかった」

この小説が掲載されたのが1960年10月です。

ここから10年後の1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を図ります。この死を特定の誰かに見せたかったように思います。
それはきっと、あの美少年では・・・

モデルバー
長編小説「禁色」
(発行日:1951年11月10日、妻3人や次々と出会う女に裏切り続けられる老作家の檜俊輔が、いいなずけの女をどうしても愛する事ができない同性愛者の美青年の南悠一から相談を受けます。この時、檜俊輔がこんな事を思いつきます、この美少年を利用し女に復習をしてやる)
の中のゲイバー「ルドン」は「銀座ブランスウィック」がモデルとなったと言われています。この小説に出てくる美少年の南悠一は、なんか、美輪明宏さんがモデルのような、そんな気がしてなりません。

知らぬは損
1階が喫茶店で2階が倶楽部ですので、2階はその道の方々のゲイバア(当時の呼称)としての社交場でした。ところが、その事を知らない客は1階でコーヒーを飲んでは何も知らないまま帰っていったようです。

知っていたとしても、ゲイ好きでなければコーヒー一杯だけで十分ですよね。

さらに「銀座ブランスウィック」の事を詳しく知りたい方は「禁色」を一読なさってみてください。戦後のゲイバアの歴史を楽しむ事ができますよ。

つづいて、
オーラ散歩 銀座グリル スイス
ここのカツカレーは是非、召し上がってみてください。
最高すぎてくせになりますよ。

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